深海娘図鑑#3:ウロコフネタマガイ
●さて、ネタなのに何処に行くのかまるで見当がつかないシリーズ。
ウロコフネタマガイ/Crysomallon squamiferum
#1で述べた「鯨骨生物群集」ですが、こういった特殊な閉鎖環境での生物群集として、もっと昔から有名だったものに「熱水噴出孔生物群集」があります。文字通り、深海底から熱水(高水圧の為、数百度という温度ながら液体の状態)が噴出する環境です。まぁ、ただそれだけでは深海の温泉、程度の認識になるとは思われますが、これが「深海である」というだけで、随分と様相が変わってくるのです。
先ず、深海という環境では日光はほぼ届かず、従って光合成というエネルギー産生手段が使えません。その為、大抵の生物はエネルギー源を上層からの沈殿物や他生物の死骸で賄わなければいけません。しかし、「日光に変わるエネルギーソース」があったらどうでしょう。それこそが、「熱水噴出孔生物群集」に生息する細菌類なのです。地上の温泉にも、しばしば硫黄泉が見受けられるように、このような熱水噴出孔は大抵の場合、多量の硫黄化合物を含んでいます。そういった細菌は、この硫黄化合物を利用して有機物を作り出すという、「光合成」ならぬ「硫黄合成」を可能としているのです。
そうして、深海底ながら、熱水噴出孔近辺は膨大とも言える有機物が存在するに至ります。深海の水温は概ね低いですが(ある程度より低い水深では概ね2℃位で平均するようです)、噴出する熱水こそ熱いものの、周囲はそんな低温なので、少し離れれば実に快適な温度になります。まぁ、これは普通の温泉でも、源泉は熱過ぎて入れない、という感じですね。こうして、深海の場所限定でありながら、熱水噴出孔近辺は非常に生物として過ごし易い環境にあるのです。生息する細菌を直截餌にする生物や、そんな細菌を共生させてエネルギーを得る生物など、その生態は多岐に渡ります。一説には、鯨骨生物群集との関連性も示唆されています。
さて、前振りが大幅に長くなりましたが、そこに来てこのウロコフネタマガイ。いえ、日本人でも「スケーリーフット」の方が馴染みがありますでしょうか。この子も熱水噴出孔生物群集の一員。まだ生態などは謎な部分が多いですが、消化管に硫黄合成細菌を共生させているという事で、その有機物を拝借して生きていると見られています。しかし、この子がセンセーショナルな話題をさらったのはそのような瑣末な事ではありません。この子は、普通の巻貝では柔らかい肉質である足の部分を、あろうことか硫化鉄て武装しているのです。人間も鉄を生命維持に用いていますが、それは殆どがヘモグロビンの酸素運搬能力のように、鉄という元素の化学的物性の利用でしかない訳です。そこに来てこのウロコフネタマガイは、物理的な防御手段として、硫化物とはいえ、金属質の組織を利用しているのです。実は、現在確認されている生物で、金属を「金属そのものとして」利用している生物はこの子しか発見されていません。しかも、今の所、インド洋の「かいれいフィールド」という場所からしか発見されていないレアな子。今後の研究の発展を願ってやみません。
なお、常温常圧下でも飼育に成功していますが、元々低酸素環境に適応し過ぎた為か、普通の海水だとすぐに鉄のうろこが錆びてしまうそうです。また、生きている間はうろこもしっかり持つようですが、死ぬと一気に錆びてしまうとも。そういった環境調製が難しい子なので、まだ確固たる育成条件などは確立していません。何体かのサンプルが日本の江ノ島水族館に運ばれたものの、数日で全員死んでしまったそうです。余談ですが、深海好きの私、この子が発見されるまで、熱水噴出孔生物群集にまるで興味がありませんでした。そんな私の好みすら揺るがした、深海の引きこもりのようなこの子が、いずれ生きた姿で普通に見られるようになって欲しいものです。
●オオグソクムシやサツマハオリムシなど、あそこは深海マニヤにとっては何気に聖地であるからな。何気にゲイコツナメクジウオも展示されておったらしい。だがコリン星からは幾分遠いのがネックである。是非とも宝籤でも当てて近辺に棲め。