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カタナノカナタ#3-1000 knives-

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■刀語第三話-千刀・鎩
で、12ヶ月連続リリース、その三冊目は出雲・三途神社が舞台。対するは千刀流、敦賀迷彩。巫女さんでつ。相変わらずの西尾節全開です。しかし、これは過去の二冊の時にも感じたポイントは相変わらず。
i)飽くまでトンデモ時代劇。時代考証云々以前に「時代劇(風)」であり、実際の戦国の歴史とは大幅に異なるオリヂナルストーリである。それが良いか悪いかはさて置く。当初、このコンビで時代物という設定に幾許かの不安を覚えたものの、完全フィクションとしてしまう事で一抹の不安は辛うじて解消された。ただし、元々伝奇現代物で名を馳せた(これが西尾氏にとって褒め言葉であるか貶し言葉であるかはやはりさて置く)西尾維新故か、時折挟まれる現代的表現に対してそれでも違和感が拭えない。現代に書かれる時代物であるという「前提」があるにせよ、雰囲気作りとしてそういう引用はなるたけ控えた方が良いのでは?とは思ってしまう。
ii)竹氏の絵は矢張り「時代物」にはそぐわない。戯言シリーズとは打って変わってディフォルメ表現を多用している為か、どうにも浮いてしまっている。まにわにの面々や今回の黒巫女のようなデザインに関しては流石と言う感じはするが、それであれば戯言シリーズに続くような精緻な絵柄を貫いて欲しかった。そうするだけでイメージはずいぶんと違ったのではなかろうか(イメージ的に、「零崎双識の人間試験」と「刀語シリーズ」を対比してみれば、いかに本シリーズでディフォルメをキツくかけているかお分かりだろう)。
一方で、とがめや七花のキャラ・魅力が薄い、四季崎記紀の完成形刀十二本の個性付け、この二点に関してはなんとか受容に値する魅力をやっと付与できていると思われる。過去二編に置いて、キャラ付けはかなり迷走していたが(第二話で作中に置いて、キャラ自ずからキャラ付けを語り始めた辺りは軽い眩暈を覚えずにはいられなかった)、第二話と第三話、この二作で少なくともキャラの骨子は自然と出来上がってきた。とがめの「ツンデレドジっ娘」という流れはまぁ予測の範疇ではあったのだが(笑)七花にも自然と「泰然自若(若しくは朴念仁)」という個性が付与されたのは比較的驚きであった(無個性をそのまま個性に転じたのは流石)。「まにわに」の面々は作中で危惧されている「噛ませ犬属性」はもう第二話辺りでもう予測通りなので突っ込みません(笑)また、毎回の敵役は中々漫画チックなキャラが多く、それはそれで宜しいと思われる。第一話の真庭蝙蝠の物理無視のスキルはまぁ、勇み足という事で何とか許容するとして、第二話で居合い、第三話でオリヂナルの「千刀流」という発展のさせ方は素直に上手いと思う(まぁこれは本人もジャンプっ子である事を憚らないので敢えて突っ込むべき場所ではないのですが、展開的に「るろ剣」風味が強い)。ただ、今後これだけ正当であり癖の強い敵役をざっと9人用意できるのか?というのは不安であり興味深い。まぁ、錆白兵は一人分決定項なのだが。
テーマである「刀」に関しても、「丈夫な"鉋"」、「よく切れる"鈍"」という二本目までは比較的ありがちな属性だったものの、三本目「鎩」の「究極の量産品」という概念の飛躍はちょっと凄いと思った(何故なら、三話の中でも語られている通り、主題自体が前提となる「四季崎記紀の変体刀千本」を台無しにしかねない、ある意味「賭け」ともとれるテーマだから)。これに関しては、以降4本目からの主題をどのように展開させるかは素直に楽しみ。
ただ、この「講談社BOX」シリーズ特有の燃費の悪さ(内容の割に装丁が豪奢で高い)は相変わらず。刀語シリーズから西尾作品に入るのはちょっとお勧め出来ません。入るならばまぁ戯言シリーズが相応かな。あと、これは本当に個人的な事なのですが、箱入り装丁なのに、肝心な表紙が手抜き。仮にも竹氏をフィーチャーするならば、せめて線画くらい印刷してもいいんじゃないかな?と。毎回「メインの敵」をプリントした栞を付けるなら、そのくらいしても罰は当たらないのでは。まぁ、内容的にはなんとか及第点はつけられると思います(七花→六枝の今回明かされた「別れ」や、前述の「刀」の行く末など、次に繋ぐポイントはちゃんとあるしね)。

■しかしこれはどうかと思うが。
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如何にも穴埋め。出来れば崩子ちゃんの口上くらい捻って欲しかった。凄いけど(笑)

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