深海娘図鑑#5:カイコウオオソコエビ
●相変わらずなんとなくやってみる。
カイコウオオソコエビ/Hirondellea gigas
さて、五回目にして未だに深海魚を出さない私もアレですが我が道を行く事にします。
深海。定義は様々ですが、シンプルに考えれば「とっても深い海」です。では、いちばん深い場所は何処なのでしょうか?これには回答が出ています。太平洋、それも日本にも近いマリアナ海溝、チャレンジャー海淵です。この名前は、最初にこの海溝に挑んだイギリスの潜水艇「チャレンジャー8世号」に因んで名付けられました。その深さ、10,000m超。この深さにも色々な思惑が錯綜しまして、チャレンジャーは10,863m、当時ソ連の「ヴィチャージ」が11,034mと、東西で意地の張り合いが続きましたが、それを仲裁したのが日本の「かいこう」の調査した10,911mであるというのは何とも皮肉な話です。
なお、1960年1月23日、イタリアの潜水艇「トリエステ号」が有人探査艇としては史上初として、このチャレンジャー海淵の底へ到達しました。しかし、肝心な搭乗員の発言には「海溝の底にヒラメやエビが生息している」というものがあり、その点にやや信憑性を見出さざるを得ません。ユメナマコの際にも触れた通り、硬骨魚類の生息限界はおよそ7000m前後です。しかも、海の底に棲んでいるヒラメにしても、深海性のものについてもせいぜいが数百mレベル。深海生物学的に、そんな超深度にヒラメが居るとは思えません。
そうなるとエビはどうか。これは、厳密には違うのですが、事実は「有り」なのです。そう、チャレンジャー海淵の底に、エビはいるのです。それこそが、この「カイコウオオソコエビ」なのです。まぁ、「エビ」と名付けられていますが、正確にはエビではありません。エビはエビでも、車海老やブラックタイガーのような有名なエビ、即ち「十脚類」ではなく、遠縁に当たる「ヨコエビ」の仲間です。森林の落ち葉の下から海岸まで、ヨコエビの生息域は多岐に渡りますが、それが更に世界最深のこんな場所にも生きているのです。事実、こんな超深度に魚の切り身などを籠に入れて放置しておくと、ぞろぞろと集まってくるくらい。現時点で、この深度で生息が確認されている生物には、ほぼ水で出来ているナマコ以外にはこのカイコウオオソコエビくらいなものです。当初、こんな深海には生物など生きている筈が無いと思われていましたが、事実は反対。しっかりと生物は生きていたのです。なお、地上などで普通に見付かるヨコエビはせいぜい1㎝程度ですが、カイコウオオソコエビはその名の通り4㎝にもなります。深海では、理由は不明ですが、浅海よりも巨大化する種が数多く存在します。カイコウオオソコエビはその一つとも言えます(もう少し深度は上がりますが、ヨコエビの仲間で10㎝を突破する種もいたりしますが)。
ただ、現在ではトリエステのように非効率なチャレンジャー海淵への調査は無くなり、大抵は無人探査艇による調査が主になりましたが(なにせ、トリエステは浮上するだけで3時間以上かかるので、海底には30分も居られないのです)、それでもこの子達は超深海に適応し過ぎて、常圧常温では生きられないのです。よって、地上での飼育は悉く失敗しています。というより、身体の大半が脂肪分なので、常圧常温では中身が溶けて流れ出てしまうのです。なお、脂肪分で浮力を得るというのは深海では常道で、所謂魚の「浮き袋」も、深海魚では空気の代わりに脂肪が蓄えられていたりします。脂肪の浮きは実はかなり現実的で、水より軽くて水圧の影響を受けにくいという事で、こと超深海の遊泳性の生物では多く採用されているシステムです。カイコウオオソコエビもそれを採用し、海底の上をその浮力で泳ぎながら、餌を探し回っているようです。「ようです」としたのは、上記の理由で、詳細な生態が未だに解明されていない為です。地上では生きられず、調査艇が長居が出来ない超深海でしか生きられない。さまざまな研究から、カイコウオオソコエビは人間に無い消化酵素「セルラーゼ」を持つというのも興味深い情報です。セルラーゼは主に草食動物が持つ消化酵素で、セルロースという、植物に多量に含まれる食物繊維を分解し、糖分に変換する酵素です。ぶっちゃければ、紙はセルロースの塊で、紙を食べるヤギはこの酵素のお陰で紙を糖分に変えられるというところです。話は戻りますが、このセルラーゼが、地上に生息するこの子の先祖のヨコエビが元々持っていたモノなのか、或いは食物も乏しい超深海で、沈んできた植物性のモノ(流木とか)を栄養素に変換する為に発展したのか。そればかりは、本人達しか知らないのです。
●良い。脂肪も場所によりけりで美点である。まぁ、乳以外に脂肪が増えて評価される部位は無いのだが。