深海娘図鑑#2:ユメナマコ
●だんだん絵の描き方を思い出してきた。
ユメナマコ/Enypniastes eximia
ナマコ、と言って何を思い浮かべるか。コノワタやクチコ、酢の物として酒の肴に供されるマナマコか、南国の海の暴れん坊、イカリナマコか。まぁ、けっこう地味なイメージかとは思われますが、深海のナマコは一味違う。海底にころころ転がっているだけではなく、泳ぎます。しかも、深海性ナマコの半分位は泳げるのです。
そんな中からユメナマコをチョイス。目の覚めるような赤色、頭部と尾部にあるヒレを使って、海中を優雅に泳ぐ。その可憐な姿から、この子を切手の図案に採用する国まであるくらい。まず、深海のナマコと言ってメジャーなのは、このユメナマコとセンジュナマコの双璧でしょう。実は、深海生物の生息域という点で、ある程度の深さから下はナマコ天国とも言えます。これは、単純に「深海魚」という高度な生物は、ある程度から下の深度では余りの水圧に適応しにくくなる為です。事実、魚として最深部に確認がとれた深海魚はシンカイクサウオで、およそ7000m前後ですが、ほとんどの魚は4000m程度で極端に種類が減ります。一方、ナマコはそれより深い水深では一気に主役級の繁栄を見せる事になります。これは、その身体を構成する「水分の量」が大きく関与しています。より水っぽい身体を持つ事で、水圧の影響を受けにくくなるのです。つまり、高度なパーツ構成を要求される脊椎動物などは、自ずと生息可能な深度が限定されてくるという事です。そこで浅い海のナマコとの対比ですが、マナマコやイカリナマコがしっかりとした肉質で構成されている一方、深海性のナマコはみんな半透明なのです。まぁこれは、同じく超深度で繁栄を見せる節足動物を除外すると、ほぼ全体的に言えるルールなのでありますが。
さて、そこでこのユメナマコ。写真はぐぐって見て欲しいのですが、半透明なのはまだいいとして、なんでこんなに鮮やかな赤なのか。これにもちゃんと理由があります。「海は青い」という命題に異論を唱える人はまぁあまりいないでしょうけど、「じゃあなぜ青いのか」というと中々に難しい問題に思えます。まぁ、理由は簡単で、可視光の範囲で、海水の中でいちばん減衰しにくい色が「青」なのです。逆に言うと、赤い光は海水中で長持ちしません。だから、深海生物は一部の例外を除き、「赤い色を認識出来ない」のです。食卓でおなじみの深海魚、キンメダイが赤いのも、そういう理由です。赤い色は見えない。ならば、身体を赤くしてしまえば、それは透明人間のような存在になってしまうのです。こうすれば、捕食者からは見えなくなってしまうのですから。
ちょっと話が脱線しましたが、ユメナマコはそういった超深海よりは、比較的浅めの深海をテリトリーとします(まぁ、それでも5000mクラスまで広く分布しますけど)。また、泳ぐナマコは多いと書きましたが、そのうち殆どは、海底の流砂や土砂崩れなどによる危険から逃げる為「止むを得ず」泳ぐ場合が殆ど。一方で、オケサナマコやこのユメナマコのように、積極的に泳ぐ子達はやっぱりというか少数派ですね。まぁ、それでも共通している点といえば食生活。これは深海云々というよりも、ナマコ共通なのですが、ナマコのごはんは、基本的に泥に含まれる有機物です。浅い海の子はそれでも泥が栄養満点なので、がーっと吸い込んで残りの泥を排泄するだけでけっこう充分。でも深海はそうはいきません。そもそも、プランクトンの豊富な浅い海とは違って、深海まで落ちてくる有機物なんていうのは本当に少ないのです。マリンスノーという言葉ももうメジャーになりましたが、それの行き着いた泥の上。そういった、深海底の泥の上に積った有機物を「デトリタス」と呼びますが、深海ナマコの餌はほぼこれです。それは海底を歩き回るセンジュナマコにしても、優雅に泳ぐユメナマコにしても同じ。ユメナマコも、泳いでばかりではなく、ごはんを食べる時は泥の上。そのデトリタスを舐め取るように食べ終えればまた泳ぐ。食生活こそ質素ですが、それでも華やいで見えるのですから、そこはそこ、深海のアイドルですね。
余談ですが、ナマコの分類に大きな役割を果たす要素に「骨片」という概念があります。これは殆どのナマコに当てはまるのですが、肉の中に「骨片」という組織がありまして、これを観察する事で、ナマコの分類が行われます。ただこれも全能のツールではなく、現在マリアナ海溝チャレンジャー海淵という、世界でいちばん深い海底にもナマコはいました。ただし、このナマコは超々深海に適応し過ぎて、身体の部品の殆どが水になってしまい、「骨片」すら存在しないようです。そんな状態なので、標本として採集も出来ず、現在でも映像でしかその存在を認識出来ないのです。まぁ、標本云々にしてしまえば、ユメナマコでも水分が多すぎて残念なもののようですけれど。
●まぁそこはそれ、終わりの無いのが終わりであり、延々と続けて黄金体験せよ。まぁ、ある意味桃源郷という奴である。