Words:u-side

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06Oct02(Sun)

○遅ればせながらジャイアンツ優勝おめでとう。しかし喜びを分かち合える人は周りにいない。さみしい。

○というか、10年以上の間、周りがアンチジャイアンツばかりだったのでそういう状況には慣れてるが。断っておくが、私はかつて関西圏に住んだ事はない。それにもかかわらず、知人でジャイアンツファンである人間は片手で足りてしまう。逆に、知人でアンチジャイアンツファンは両手で余る。

○私はプロ野球というスポーツのスタイル上、「○○のファンだからジャイアンツは嫌い」というのは仕方ないことと思っているが、上記の知人の多くは「野球に興味はないがジャイアンツは嫌い」である。まぁ、長い事ジャイアンツファンをやっているのでこれはわからないこともない。金に物を言わせる補強の数々、平均して上位をキープするチームとしての強さ(主観的なものを抜きにして)、オーナーの物言い、NTV系列のあからさまな球団贔屓、などなど。かといって、嫌いだからといって、それが好きな人の前で堂々とそれをけなすのはどうか、と思う。私は過去、そういう場面に何度も遭遇しては唇を噛んだものである。嫌いなら話のネタにしなければいい。しかしそういう輩はけなすことに快感を覚えているのだろう。私だって、好きだからと言って人に好きになるよう強要したりは絶対にしないし、嫌いな人の前でそれを嬉しそうに語ることも極力しないことにしている。

○先日、知人と行った旅先でナイターを見ていたら、「金で野球をしている球団」とか「正力信者め」などと言われた。しかし待ってほしい。まず「金」であるが、球団だって商売でやっている。選手だって金第一かどうかはともかく、少なくとも「職業」として野球をやっているわけである。ゆえに、金があるならより強くなるように補強し、働いた選手には高額の賃金を払うのは至極当然の行為ではなかろうか。確かに、ジャイアンツは一時期、金に物を言わせ、落合、清原、江藤、広沢などFA宣言した各球団の4番を貪欲に獲得していた。私個人の考えではあるが、清原以外は別に獲得しなくてもよいのでは?と思ったものである。正直、現在のジャイアンツでも、未だに江藤と工藤は獲得する必要はなかったのではと思っている。何故清原はOKなのか?というと、現在の活躍云々を抜きにして、彼が元々ジャイアンツ入りを熱望していながら西武に入団したという経緯を(伝聞形ながら)知っていたからである。ゆえに、今年FA件を取得した松井がメジャーではなく、幼少の頃からファンだったというタイガースに移ったとしても「仕方ないな」と思うことができると思う。現に、松井は入団1年目のオフ、「週刊ベースボール」における漫画家・水島新司との対談に於いて、「FAを取得したら阪神に行く」と発言していた(しかし、後に「一生ジャイアンツにいる」との発言をしたらしいが伝聞にて未確認)尤も、こういった乱獲得は殆どが長嶋政権の元行われた事柄であり、なおかつ原政権に変わった今年の戦い方を見た感じでは、今オフに選手の乱獲得の可能性は低そうである。なぜなら、仮に今期不調だった仁志のセカンドや、故障の不安を抱える清原などの控えに実力者を「日本球界から」獲得するようであれば、監督が今期多くの控え選手にチャンスを与えていた行為は何の意味も持たなくなってしまうからである。また、一方で在籍者の年棒がのきなみ高騰しそうなのも理由になろう。去年、松井は6億の大台に乗せ、イチローのもつ球界最高年棒の記録を抜いたが、知人から「6億は高すぎ」という指摘がやはりあった。しかし考えて頂きたい。イチローは7年連続首位打者を取り、球団の顔であり、守備の面でも完璧な選手であった。一方、松井は首位打者を取り、本塁打、打点でも上位5人に入り、全試合フルイニング4番を勤め、イチローと比較するとやや落ちるものの水準以上の守備力を持ち、なおかつ球団の看板打者である。総合して考えれば、1億の上乗せは妥当ではないかと思うのである。逆に、これで現状維持であったならばフロントは何に金を使う気なのか、と思うだろう。ドラフトにしても、長嶋政権の時は基本的に即戦力としての大学生や社会人を上位で多く獲得し、現実に結果を残している(上原、阿部、高橋由、高橋尚など)。しかし、原政権はむしろ「育てる」方向で獲得していくのでは、というのが私の予想である(尤も、原監督はドラフト会議に1度しか参加していないのであくまで推測)。それと、ジャイアンツは「他所から持ってきた選手ばかりで固められたチーム」と思われがちだが、今年のベストオーダーで生え抜きでない選手は清原と江藤だけである。ローテーションをつとめたピッチャーでも工藤だけである(ワズディンを含めれば二人ではあるが)。オーダーの生え抜きの数で言えばさほど他球団と変わらないのである。などとだらだらと書き連ねたが、結局、「ビジネス」である以上、金があるほうが強いのである。ただ、金だけで優劣はつかない、ただそれだけなのである。もう1件の「正力」であるが、言わせてもらえばナンセンスの一言。私はジャイアンツが好きなのであって、そのオーナーには関心は全くない。むしろ、スポーツ誌などでたまに載るオーナーの発言にはG党ながら眉をひそめるくらいなのだから。ドラフト廃止しかり、1リーグ制しかり。徳光ですら賛同しかねること多々な私なんですからね。「ジャイアンツはプロ野球の盟主」なんて思ってるファンを普遍的なものととらえるのは「日本人はみんなアニメオタクである」という捉え方と同じだと思うのだが…

○で、マイナー好きな私が何故ジャイアンツファンなのか疑問に思う方も中にはいるかもしれないので少し触れておく。簡単に言ってしまえば、昔の私は今のようにマイナー好きではなかった、ただそれだけなんです。まぁ、小さい時の話ですしね。ただ、ジャイアンツを応援するようになった時点で、ジャイアンツという球団がどのくらい強いのか、私は知りませんでした。どういうことかというと、私はまず選手のファンから入ったからです。順を追って説明しますけど、まず私がプロ野球を認識したばかりのころは、ロッテ、日本ハム、ヤクルトのファンでした。はい、簡単ですね。たべもの系の名前だったからです。ですから、野球のルールもろくに知らない状態で、NHKの朝のニュースで結果を見ては一喜一憂していました。まぁ、ロッテと日ハムは同じパ・リーグなので、この2球団が対戦したときの結果は微妙な気持ちで見ていましたが。で、あるとき従兄弟がファミスタをやってるのを後ろから見ていました(ちなみに初代なので準実名)。で、目に付いたのが阪神(当時)の吉竹選手。私の本名には「よし」が入ってるので、「じゃあ私阪神ファンになる!」という、子供にありがちな発言をしたところ、「よしなら他にもいるよ」ということでジャイアンツの吉村選手を見せてくれました(無論ゲームでですが)。当時の吉村選手は怪我の前で、「将来の4番」と期待されていた時期。パラメータの意味はよくわかんなかったのですけど、高いほうが強いということはなんとなしに理解していたので、「じゃあ私ジャイアンツファンになる!」となったわけです。単純ですよね。それから数年、野球には興味ないけど吉村選手とついでにジャイアンツがんばれ、という形でジャイアンツファンやってました。今みたいに熱狂的なファンになったのは、同じ従兄弟に「ドカベン」を読ませてもらって、野球のルールと面白さを覚えたからなんです。ここにきてやっと、ジャイアンツがわりと強い球団と知ったのでした。でも、ファンになるって、そういう単純な理由でいいと思います。

25May02(Sat)

○Wordsに書いた医師とのTelについてすこし書く。というか、反論もさせない一方的な攻撃だったためここにでも鬱憤をぶちまけないとおさまらない。

○事の顛末はこう。昨晩7時ごろ薬局に呼び出されて、薬の配達をしてほしいと頼まれた。いつも来てくれる患者だったのでいつも通りの処方だと思ったら、風邪を引いたらしくそれ用の処方が追加されていた。それだけならいいのだが、今回付け加えられた薬5点のうち、ひとつは現在ほとんど使われないような薬、そして2点はゾロ薬(つまり、開発社の成分に対する特許が切れた後他社が出す同一成分の薬。値段はふつう半額程度)。無論うちにはなく、取ろうにも問屋や他の薬局は閉まっている時間。ゾロ薬を含む3点は早く欲しいという患者側の要望があり、調べた結果いずれも同効薬の先発品(つまり開発社の出した薬)の在庫があったため医師に連絡し処方変更をお願いしようとしたものの電話は通じず。原則として医師への照会を行わない処方変更は認められないのだが、やむなしと判断、こちらの独断で同効薬を調剤、届けた。ほとんど使われない薬は同効薬がないため、仕方無しに翌日再度配達するということで患者側にも了承を得て帰宅。

○本日改めて医師に、事後になってしまったが処方変更希望の電話をする。そうして状況を説明したところ、

「うちとしては厚生省からの要望でゾロ薬を使うようにしている。近隣の調剤薬局には置いてもらっている。うちとしては患者が処方箋をどの薬局に持って行くかは解らないし、その辺の問題は薬剤師会に言ってくれ」と。

今年4/1から処方箋の薬剤は一般名での記載もできるようになっており、そうしてみてはどうか?と提言しようかと思ったが、医師側にはゾロ薬を処方するメリットがあり、仮に一般名で記載した場合殆どの薬局は在庫のある先発品を使うだろう。なぜならその方が儲けがいいからである。しかし、そうなると患者負担は勿論多くなり、厚生労働省の意向とは反する。しかし、ひとつの先発品に対してゾロ薬は多いもので20種程度にもなる。どれを使うかなどははっきり言って医師の好み次第であり、薬局としてもそんなに何種類もゾロ薬をそろえるなどということはスペースや予算面からして不可能なのである。雑誌に載っていた薬局では事前に市内の診療所において仕様される予定のゾロ薬を調べ上げ、すべて在庫にそろえたそうだが、そんな真似ができるのはそこのように一日に百枚単位で処方箋が舞い込むような大きな調剤薬局のみ。殆どの調剤薬局は近くの病院や診療所からよく出る薬を中心に、なるべく在庫量をおさえて揃えているのだ。私のいる薬局は住宅地にあるという関係で、基本的に薬剤師一人でやっている調剤薬局にしてはかなりの在庫を抱えている。そんな小さな薬局が当の診療所(しかも薬局からはかなり離れている)のゾロ薬、しかも風邪ということで処方された、臨時に短期間出る薬などあるはずがないのだ。無論このばかでかい静岡市。市内の診療所すべてが出すゾロ薬など網羅できるはずもあるまい。そのため、「うちのような小さな調剤薬局で用意しておくのは無理」と返そうとしたところ、「小さな」まで言いかけたところで

「大きい小さいなんて関係ない。要は薬剤師会がどういう対応をしろと言ってるかなんだ」と。

しかも医師はこちらに反論する間も与えず、一方的に強い口調で、夜間薬局が開いていないので処方箋が出せないとか、主旨外れの薬局への不満点までぶつけてくる始末。打たれ弱い私のこと、反論もできずただ小さく「はい」と相槌をうつだけで、一方的に不満点をぶつけられたまま電話は切れた。大きい小さいは関係ない!?関係あるわバカが。薬剤師会だってこれといった策は提示してないわ。今回の改正でいちばん迷惑してるのは、うちみたいな方々の病院、診療所から処方箋の舞い込む小さな薬局なんだよ!先発品だけで手一杯なのにゾロ薬なんて揃える余裕があるわけないだろボケが。夜間の薬局の営業だって、うちみたいに社長を含めても3人しか薬剤師がいない薬局じゃそんな深夜までできるわけないだろバカが。常識で考えろ。こっちだって通常の勤務時間が終わった後でも、呼び出しさえあれば出勤して調剤してるんだよ。ノーギャラでな。てめぇこそ厚生労働省なんてお粗末な役所より精一杯頑張ってる小さな調剤薬局のことを少しは気遣えよ。おまえが薬剤師会に直接文句言え。駄肉が。

すいません、あまりに鬱積していたので暴言書き連ねました。でもそのくらい私はこの医師の態度と反論すらできなかった私自身に怒り心頭なんです。

薬剤師として働き始めて2年が過ぎました。稚拙ながら薬のプロとしてのプライドもありました。今回書いたことも間違いはないと自負できます。

でも、医薬分業が謳われてしばらく経ったというのに、薬剤師の現場と医師の間の齟齬というものをまざまざと見せつけられた気分です。

もう、薬剤師でいる自信がなくなりました。

30Oct01(Tue)

○昨日はもうなにもかもが嫌だった。一晩寝て、ようやく落ち着いた。

○私ってなんだろう?本当に存在してていいの?という疑問はここしばらく無かったのだが、レヴォ近辺で生活が不規則になってて、薬をきちんと飲んでいなかったせいかまたそういう疑問が鎌首をもたげてきた(薬ですが、リスパダールとアナフラニール。これがわかる人なら私がどんな病状なのかわかるでしょう。まぁ、簡単に言ってしまえばキチ○イでしょうか(笑))。私と仲良くしてくれる人たち、本当は嫌々なのではないか?私、周りに迷惑ばかりかけてないだろうか?云々。

24Aug01(Fri)

○去りし’01夏コミにて、当サークル「TR九石堂」は結成5周年を迎えた。さっき思い出したんですが。5年も経つ割に、サークルの行動理念は殆ど変わっていない。それは「有名になる」である。転じれば「大手になる」といったところか。うちのサークルの、といっても私だけなのだが、「大手になりたい」という考えはつのるばかりである。まぁ、なんちゃって大手にはなってた、らしいけれども(それについては前回の記述を参照)。私の考える大手像は、「ジャンルに固執しない本作りをしてても売り上げは一定して多い」「クオリティが高い」の2点である。まず最初の方であるが、これはジャンル売れではなく、作家売れ、サークル売れするという状況を指す。つまり、作家側としては好きなジャンルで活動できるという点で憧れる状況ではなかろうか。まぁ、うちはいままで「売れるから」といった理由でジャンルを選んだことはないのであるが。現在のうちの状況は「ジャンルに固執しない本作りをしてても売り上げは一定して少ない」なのである。今後の希望はやはり売り上げの増加なのである。といっても言うほど売れてなくもないのだが(笑)でもいわゆる「moo系バブル」の時期を越えたいという考えは今もって捨ててはいない。あと注釈をつけるとしたら「売り上げ」の定義であろう。500円の本を2000部売るのと1000円の本を1000部売るのでは売り上げ金額は同じであるが、売り上げ部数には倍の差がある。私だったら迷わず「500円を2000部」を取る。うちにとっての売り上げとは、部数なのである。やはりいずれは4ケタの売り上げを誇るサークルになりたいものである。次に「クオリティが高い」であるが、これについてはうちはまだまだとしか言えない。でも…これでも頑張ってるんです。ここ2年くらいのうちの本と今回の「Underworld:」を比べれば、頑張ったのは解ってもらえる筈。でも、「moo系バブル」のころの本と比べると…やはり昔の方が良いのである。丸ペンからGペンに変えたことで線が太くなり、全体的に絵がやぼったく見えている感もある。絵に対する丁寧さにも最近は欠けているように思う(当サークルの既刊、「Delicatamente」を所持している方は、収録されているティナ、アルザのイラストを見ていただきたい。当時の私がいかに丁寧で繊細なイラストを描けていたかということが理解できるだろう)。私は別段そういう変化を意識しているわけではないのだが…「自然にこうなった」としか言えないのである。とりあえず、秋レヴォ〜冬コミにかけてこの辺を改善し、来年の春レヴォに発行予定のイラスト集にてその成果を出せれば、と思っている。私がメジャーになるには障害が多い。「流行り物に柔軟に対応できない」「絵柄が一般向きではない」など。しかし、私は我を通すつもりである。自分の信念を曲げてまで大手にはなりたくない。いつの日か、サークルチェックで「ここ最優先」とたくさんの人にチェックされるようなサークルになりたい。いつの日か。

16Jul01(Mon)

○6年以上に及ぶ私の同人人生。ちょっと、それを振り返ってみようと思う。ToHeart、ONE、Kanon、痕、メイドさん…いろいろやってきた。その中でも私が長期間描いていたジャンルはふたつある。ひとつはときめきメモリアル。そしてもうひとつは一般にmoo系と呼ばれる、ウィザーズハーモニー、エターナルメロディ、悠久幻想曲シリーズからなる作品群である。ときめきメモリアルは確かに長期間やっていたが、殆どが先輩の同人誌上での執筆であったので、ここでは単独サークルとしては最も長期間に渡って携わってきたmoo系について述べる。これを書こうとしたきっかけは、先日、神原みずき氏と電話で話していた時の内容である。今は互いにmoo系からは離れているが、ふと会話の内容がmoo系のころの事になった。そこで、昔ときメモ同人をやっていたころの知り合いから貰ったメールの内容をふと思い出した。「ある美少女ゲーム系メーリングリストで、エターナルメロディの事が話に出たとき、きみのサークルの名前が書いてあったよ。けっこう有名なんだね」概ねこんな内容である。神原氏に「そういえばうちのサークル、moo系の頃は有名だったらしいですね」と冗談半分に言ってみた。すると、「らしいじゃなくて本当に有名だったんですよ」と神原氏。そしていくつかのエピソードを聞かせてくれた。正直私はびっくりした。確かにあのころの同人誌の売り上げは今に比べて格段に良かった(ただしmoo系の同人誌に限り)。しかし、自分が有名などとは露ほども思っていなかったのである。思い返して見ればいくつか思い当たる節はある。moo系最大手だったサークル「うなぎのぼり」のばうばう(現横井レゴ)氏が私のmoo系同人誌を殆ど持っていたり、えあふぉあ(現神嶋竜矢)氏が私のことを知っていたり、全く面識がなかったサークル「漢の肉体隊」の香月よしたか氏に同人誌を頂いたり…私はmoo系の同人誌が売れるのは単純にジャンル人気だと思っていたのである。moo系以外の同人誌の売り上げがmoo系の同人誌と比べて落ちるのも、やはりジャンルの為なのだと思っていたのである。moo系から離れて3年にして知った真実は違った。それはジャンルの為というよりは、「moo系サークル・TR九石堂」というアイデンティティがオーディエンス側の頭ににあったのである。有名になるのは結構だが、それが一つのジャンル内でしか成立しないのは、悲しい事である。私としては、ジャンルと並立させないで、単純にサークルの、作家の評価をしてほしいのである。尤も、ここ数年めまぐるしくジャンルを替えているうちのサークルにとって、それが現状のポジションであるから今現在それを声に出して言うつもりはない。当時の私の絵に比べれば、当然今のほうが若干上手にはなっていると思うが、あのころの私の絵には今の私にはない繊細さ、緻密さがあった。それを超えない限り、現状の打破はありえない。まぁ、確かに当時の私には、見てもらいたい、上手くなりたい、有名になりたいといった意識が今以上にあったと思う。ただひたすらに、がむしゃらに、絵を、漫画を描き続けていた。今振り返ってみて、輝いて見えるのも無理はない。下世話な話だが、本当に当時の売り上げは凄かった。冬コミ初参加時に作ったエタメロ本「BODY MEETS SING」。ときメモ本を作っていた当時はだいたい100〜300部くらい作っていたのだが、初参加ということにうかれて500部も作った。ちなみにジャンルは男性向けゲームだったが、サークルカットはKOFのアテナだった。そのようなジャンル違いの中で、1年くらい持たせようと思って作った500部は完売。予想外の展開であった。その翌年の春のCレヴォ、ナイス様こと凌駕ゆい氏との初合同誌「Delicatamente」は、詳細をゆい氏に任せたところ、1000部の大台。しかも1冊1000円。それが半年足らずで完売。調子に乗った私はその夏のコミケにて「VOICE」を1200部製作。これも半年で完売。当時は当サークルにとってまさに「moo系バブル」の時代であった。その後発行部数は少なくなるものの、ラストのmoo系同人誌「PRISM」ですら700部が半年で完売。好調な売れ行きとは対照的に、元々マイナー嗜好のきらいのある私は、この「ジャンルにのっている」的な売れ行きに対し少し嫌気がさしていた。なぜなら、これらmoo系同人誌の合間に出した他のジャンルの本は、明らかにmoo系の本に比べて売上が落ちるのである。つまり、自分が評価されているのではなく、ジャンルが評価されているのである、と。そうこうしているところに、私がmoo系と袂を分かつ出来事が起こる。「パーペチュアルブルー」の発売である。moo系のゲームを毎回楽しみにしていた私は、この作品でmoo系に見切りをつけた。キャラクタはあいかわらず魅力的で、とくにメルフィなどはルシードとの漫画を描いてみたいとまで思わせはしたが、いかんせんクリアまでの所要時間が長すぎる上に単調ということと、EDが見れなかったということの2点で、moo系との決別と相成った。実際、私は「悠久組曲」も「此花」もやっていない。以降の流れは前述の通りである。しかし、ここにきてmoo系への復活の可能性が出てきた。新作「Evergreen Avenue」の発表である。前記の作品はやってないし、あまりやろうとも思わないのだが、これには少し期待している。キャラクタを見た感じではこれといったキャラはいないのだが、ウィザーズハーモニー以来、すべてのmoo系ゲームのイチオシのキャラがサブキャラなのでこれはあまり気にならない。今現在、夏コミにてシスタープリンセス本、冬コミにてAIR本の刊行を予定しているが、以降の予定は今もって未定である。したがって、「Evergreen Avenue」の出来次第ではmoo系への返り咲きもありうる、ということである。長くなってしまったが、私の同人人生がこんなものであった、ということである。…こう書くと同人をやめるようだが、それはない。かつて、「うなぎのぼり」さんとの合同誌「Plectrum Streaming」を作った頃はとくにやりたいジャンルもなく、やめようとは思ってはいたが、今はやりたいことがけっこうあるので、しばらくは同人との付き合いは続きそうである。どうか、末永いお付き合いをお願いします。

06Apr01(Fri)

○一年以上ぶりの「u-side」。なんか、ここに書きたい事はぽつぽつとはあったのですが、なんか面倒で書かなかっただけです。

○前回の書き込みで、「漫画家デビューする気はない」と書いたが、最近揺らいでいる。兎に角、思う存分漫画が描きたい。描きたくて仕方がない。でも、仕事を続けながらでは限界がある。仕事の方も、結構重要なポストを任されているので、疎かには出来ない。仕事を辞めてしまえばそれでいいのだが、前記の通りなのでなかなか踏ん切りがつかない。仕事を辞めれば、また親に迷惑をかけることになる。できれば、それだけは避けたい。でも、仕事以外にどうしてもやりたい事が出来た。この気持ちは殺したくない。悩む。どうすればいいのだろう?優柔不断な私にはその一歩を踏み出す事が出来ない。一応、今やってる原稿がひと段落したら、真剣に考えよう。

12Mar00(Sun)

○ひさしぶりの「u-side」。もう半年以上もほったらかしてたんだ。まぁ、ここに書く事が無いという事は精神状態がいいという事だから良しとする。でもまたここに来たということは書く事が有るという事。ふぅ。

○先日(といってももう1ヶ月前になるけど)、横井レゴさんのとこのOFF会に行ってきたのだけれど、その3次会で、横井さんと神嶋竜矢さんに「いつデヴューするのか」と問い詰められた。この方たちはそのくらい私の事を買ってくれているのかも知れないが、あえてこの場で断言しておく。

「今現在、私はマンガ家デヴューする気は無い」と。

勿論、したいとは思うし、させてくれるのならなってみたいとは思う。でも、冷静に自分を見ている(つもりの)私にとっては、今はまだ時期ではないとはっきり言える。まず第一に、漫画を描くスピード。週刊ないし月刊連載が主である漫画家のペースに私はついてはいけない。私の漫画を描くスピードはかなり遅い為である。第二に、これが肝心なのだが、絵や構成のレヴェルが明らかにプロの領域に達してない事が有る。これに第一の「スピード」が加算されるわけで、とてもではないが私は漫画家としてやっていけるレヴェルではないのである。おまけに第三。ネタがたぶん3回くらいで尽きる。週刊誌用のネタならあるが、前述の通り、やっていけないのは明らかである。「それを会得するためにデヴューする」と考える方法もあるが、私は自分に満足できない状態でプロにはなりたくない。だから断言する。「今はまだ時期ではない」と。

16Aug99(Mon)

○今回も今回とて、コミケが終わったらここにいる。以前、Leaf系の本はもう出さないと言っておきながら、今回の本はToHeartだった(合同誌ではあるが)。やりたいと思ったからではあるが、それでも節操なさすぎではないか、自分。しかもそれでまたヘコんでいるのだから始末に負えない。いくらスランプだからといって、今回のはちょっとひどかった。ばうばうさんに申し訳ない、と思ってしまう。でも、本当はそういうこと言う事自体が非常に失礼だと思うので、もう言いません。何よりも、上手くなる事が一番の解決策ね。がんばりますけど。それはそうと、今回も他サークルのレベルの高い同人誌見てヘコんでたり。「私はこんなこと出来るのかしら」と。所詮他人なのだからそう気にとめることもないだろうけど、私だってやるからには最高のものを提供したい。でも自身のキャパシティがそれを許さない。同人なのだから、気の赴くままにやればいい、はずなのですが。妥協が元々出来ないタチなのでしょうか。

18May99(Thu)

○レヴォが終わったわけですが、イベント自体少し退屈だった。今回は1冊しか本を買わなかったし、殆ど出回らなかったから時間が余ってたんだとは思うけど、それにしてもヒマだった。こんなことなら、もう少しスケブ受けても…やっぱいい。あれだけ絵がダメな状態でたくさん描くのも愚かだと思うし。

08Apr99(Thu)

○現時点での私とプロの間にあるカベの高さ(あるいは溝の深さ)は、私の思っている以上に厳しい物だと痛感する。やはり、自惚れていたのだろう。情けない。

07Apr99(Wed)

○今、パソコンのそばに「臓器提供意思表示カード」がある。いわゆる、脳死の臓器提供に対するアレ。私は賛成派なので、これから携帯します。っていうか、私が理系人間だからなのかもしれないけど、脳死判定に反対する人の気持ちが全然わからない。マクロ日本人観で言うと、まだ人間は心臓で生きてるといった考えの人が多いからなのだろうか。心臓はただ血液を送り出すための器官にすぎないのに。様は、人間の生きてる証はどこにあるか、ってこと。私は人間は心で生きている、と思ってるので、その心の寄りしろである脳の死が人間の死だと思っているから、そう思えるのだろう。心が死んで、ただ心臓が動いてるだけのカタマリを「生きている」と思うのは悲しすぎる。(でも、夢野久作「ドグラマグラ」の中の「脳髄論」では、「脳は考えをまとめる電話交換手のようなものであって、考える所ではない(だったと思う)」と評しているわけで、私はこの脳髄論が結構好きであったりする。そう考えると、脳死というのもあながち心の死ではないのかもしれないけれども)

○「子供の健全育成に悪影響を与える番組」として、よく民放のバラエティが槍玉に挙げられる。しかし、私はそれよりも悪そうなものは多いと思う。一つ目、戦隊ものの幼児向けアクション。いまのはどんなのか知らないけど、私が見ていた時代のまんまで考えたら、これほど凝り固まった勧善懲悪の世界観はマズいと思う。二つ目、推理ものドラマ&アニメ。なんでこんなに人が死ぬのにおばさまたちは文句も言わないのでしょう。三つ目、時代劇。前述の二つの点を併せ持っている。バラエティがつるし上げられるのに、これらには何の投書もない。不思議ですね。

○村上ショージって、何で芸能界にいるの?(笑)未だに判りません。

02Apr99(Fri)

○「所詮自分はその程度」と、最近よく思う。漫画。絵、CGなんか。特に。私、なにやってるんだろう、って。実際、「Propaganda」閉鎖してしばらくCGの勉強しようかと思った位。もうダメダメ。

06Mar99(Sat)

○最近、心をゆさぶられるゲームがない。「ONE」以来か。ファイナルファンタジー8が其たり得なかったのが残念である。正直、ムービーに囚われ過ぎではないか、といった感じが拭い切れない。ストーリーはまだいいが。随所に挟み込まれたミニゲームはうざったいだけ。FF7においてはスノーボードのみは非常に楽しめたのだが、今回はうっとうしくしか感じなかった。ジャンクションシステムはいいアイデアとは言える。けど、魔法の有用性から考えると、消耗品にパラメータを左右されるというのは結構疲れる(「魔石」や「マテリア」の方が良かった)。他にも、ラグナロクで飛んでいる時のポリゴンのぎこちなさ、やたらに長い(四段階)ラスボスとの戦闘など、ツッコミを入れるところはいっぱいある(バグといえば、私、ラグナロクが消えてしまって困ったんですが。結局、暫く前のデータからやり直したわけで)。正直、費やした時間に見合った「楽しみ」を与えてはもらえなかった感が強い。スクウェアさん、期待はしてるんだから、大企業ならばそれに答えて欲しい。

○心理テストってのを受けたのですが、あれ、つまんないね。明後日また受けるのですが、嫌ですね。

09Jan99(Sat)

○アイドルって嫌い。でも、一番嫌いなのは司会進行にもかまわずわめき散らすそのファンだったりする。たしかに私がアイドル好きで、その場に居合わせたらあんな感じになるかも知れないけど、そうじゃないから目障りなだけ。わがまま?それが理由で嫌いになったのはV6、ジャニーズJr。去年の甲子園大会をパニックに落しいれたのはV6だっけ?まだコミケの入場者の方がまともでしょ(少なくとも混雑の統制においては)。ちなみにジャニーズ嫌いってわけじゃあなくて、SMAPやTOKIOは好き。っていうか何で「まだ子供」にしか見えない(失礼)っていう子達があんなに人気あるんだろう?あたしゃショタコンじゃないからわかんないよ(笑)っていうか、若いアイドルっぽい人達、礼儀も知らんのならテレビに出るな(笑)

○兎に角、欲しいんですよ。私をここに留めておいてくれる楔が。

04Jan99(Mon)

○現在、精神状態がいいので書く事見当たらず。などと言っていたが、予想通りコミケ終了後状態悪化(笑)

○ウチはやはり悠久サークルと思われているのだろうか。スターライトマリー系とそれ以外の本、売上があきらかに違う。まぁスターライトマリー系は人気あるし、そこに乗っかってると思えば納得いくが。逆に言えば、スターライトマリー系で出していけばある程度の売上は確保できると言う事か。しかし、そう考えると逆にその他のジャンルで行きたいとも思ってしまう。「自分」はどのくらい評価されているのか、が気になってしまう。元々、嫌なんですよ。便乗っていうのが。こんなセリフは実力者が言ってこそだとは思うけど、自分みたいな三文同人屋でもそう言ってみたい。

○コミケが終わった直後は決まって、私はかなり荒れていたりする。自分の作ったものと、他人が作ったものが並べられるのが「コミケ」であるから、どうしてもはかりに掛けてしまう。いくら自分が一生懸命描いても、足元にも及ばないというのが現実だから。つい先日まで、絵に対する情熱みたいな物が薄れてきてるような感じがしていたのだが、くやしい、という事はまだ情熱がのこっているという事か?

01Dec98(Tue)

○現在、精神状態がいいので書く事見当たらず。

14Oct98(Wed)

○本当はいくつか打ちたいテーマがあったけど、「愛」(松本人志著)を読んだら殆ど同じだったので割愛。しかし、自分でも驚くほど意見の一致がありびっくり。

○「ONE」をやって改めて思った事。どんなジャンルでもいい、作品に障害者を出すと、差別問題を持ち出す輩がいる。でも、それはその人自身が差別してるんじゃない?差別するなっていうなら、全盲だろうが言語障害だろうが、聾だろうが片腕だろうが「普通の人」として扱うって事でしょ?じゃあ意見を挟むこと自体差別じゃない。(「差別だ何だ」と言い出すのはその本人たちと、関係の無い人との2タイプがあるけど、後者の場合って本人達の差別意識が原因になってる事が多いと思うのだけど)

28Sep98(Mon)

○自分には十分きびしく接しているつもりだったが、やはり自惚れが生じてしまっている。自惚れは自分をダメにする。

※「自分に自信を持つ」と「自惚れる」は別物。最大の違いは「自分の相対的かつ客観的な評価が出来ているか」かと。

○私はG党だが、某徳光(G党)には賛同しかねる所が多々ある。同じく、野球ファンとしても、某上岡(虎党)を見ていると首をひねる事多々。これは日本人の特徴なのかも知れないが、自分の支持する組織以外の者を差別的あるいは非人間的に扱う事が多いような気がする。スポーツファンの何が嫌って、そういうところが一番嫌。

追:私が最も尊敬しているプロ野球選手、吉村禎章選手が今期限りで引退を表明。十数年間ファンをやって来ただけに、非常にさみしい。(実は私がジャイアンツファンになったのは吉村選手のファンになったから。今後はどうしよう)

○批評。批評ってけなすこと?

23Sep98(Mon)

○正直じいさん。昔話によく善い人として出て来るが、人の言われたくない事まできっぱりと話す本当の正直じいさんと、言われたくないならばと嘘で取り持つ嘘つきじいさん、どちらが善い人か?

○新聞の読者欄なんかの投稿を見ていると、この人達は何を考えてこれを投稿したのかと頭をひねりたくなるものが多すぎる。特に、あまりにも主観的な物。対象物があらゆる思考に対して配布されているメディアである事が全く判っていない。まぁ、投稿した人の年齢などを見れば仕方ないかとも思うが。

○TV番組などにクレームの電話を掛けるのは大概が主婦や無職の人だという話(松本人志「遺書」より)。つまりは暇つぶしも含まれている様だ。それにペコペコしなければならない職員も哀れである。食べ物を粗末に扱えば「粗末にするな」の抗議。TVに抗議する前にマクドナルドの調理場やコンビニエンスストアの廃棄の現場を見なさい。いつも思うのだが、それにクレームをつける前に、例えば子供などに「それは悪い事」などと教えるのが先ではないだろうか。「臭いものには蓋を」。なんとも日本的な言葉。中年以上の方々は、毒を投与しなければ免疫抗体は作られないという事を知らないらしい。「子供の害になる」といって隠したところで、それは存在するのだからいつかは遭遇する。その時に、抗菌コートされて育った人は正常に対処できるのかな?私はむしろ、隠すよりも与えてやれば善いと思う。何が悪くて何が良いのかを理解できないというのは、TVなどメディアの影響以前の問題ではないですか?親御さん方。ドラッグに手を染めて欲しくないならば、「ダメ、ゼッタイ」なんて言ってないで、もっと生々しいドラッグ中毒の現実を見せてあげなさい。トラウマにでもなれば、ドラッグに手を染めたりはしないでしょう。性犯罪をなくしたいならば、有害図書や風俗を規制する前に児童教育に性教育を盛り込むなり、善悪の判断などを徹底的に叩き込みなさい。そう言う事をしないでメディアばかり非難するのは、正義でもなんでも無くただ自分達の怠惰をメディアに責任転嫁しているだけだ。

○何時だったか、「週間新潮」に載っていたものだが、エイズ予防キャンペーンだか何だかで、里中満智子氏が漫画を書き、それを厚生省の推薦図書だかにして欲しいと依頼したところ、答えは「NO」であったのだが、その理由が笑える。

「性描写とドラッグ描写がある為」

厚生省さんは何を考えているのだろう。ミドリ十字の非加熱製剤の一件が出たからには、エイズ感染の経路としては性交渉やドラッグなどでの注射器のまわし打ちなんかが有力になったというのに。頭の堅いお役人のお偉いさんの頭の中はまだ「男女七つにして云々」なんでしょうね。日本は性のタブー視が緩んでからまだ日が浅いから、おじさんおばさんはまだジェネレーションギャップにすら気付いていないんでしょう。そんな人達が子供達の事なんて、わかってるの?そりゃ政治不信でも仕方ない。

○早い話、物事の主旨も判らん奴はぐだぐだ言うなってこと。

12Sep98(Sat)

○最近、心を動かすファクターの大半を電子空間が支配している。悪い兆候であるが、それが逃避であるから、直す気にはならない。

○最近の北朝鮮情勢に乗って日本の朝鮮学校生に嫌がらせをしている奴、薬物利用のイタズラ、本当、いい加減にしろ。前者、日本人の横の連帯感の変な強さ、せめて考えてから使用して欲しい。後者、砒素と青酸カリはともかく(もはやイタズラではないため)、他の模倣イタズラは明らかに冗談が感じられて気分が悪い。

○このページを見ている人は、私の口の悪さが目につくかもしれないが、機嫌が悪ければ口も悪くなるし、これでも結構気難しい人間なんですよ。ただ、私は主張で人間関係を壊すのは絶対に嫌なので。気まずくなる位なら、自分を押し殺して生きるタイプの人間なんです。だからといって、主張する人が悪いって事ではなくて、それが私の処世術ってこと。それに包まれた鬱屈の捌け口がここである訳で。「別に載せなくても」とも思ったが、誰かが見る可能性のある所へ書き込むというのが少しは心安めになるって事。

○昨日学校を休んだのは、風邪だけではない。いろいろ考えすぎて、心がボロボロになっていたというのが、多分一番の原因だと思う。

○かの「酒鬼薔薇」事件がまだ未解決だった頃、ワイドショーが勝手気ままに若い成人男性(結局誰かは不明のまま)を容疑者に仕立て上げて、好き勝手な事を言っていたのだが、その中で誰だかが「大人にもなって自分の存在理由について、存在価値について悩んでいるのは精神が未熟な証拠」概ねこんな発言をしていた。そうだろうか?私は、自分のことについて考えない大人は精神が成熟したのではなく、ただ考える事を拒否あるいは放棄してしまっただけだと思うのだが。(私はワイドショーが嫌いなのだが、学校へ行くまでの30分ほどはどのチャンネルでもワイドショーくらいしかやっていない。別にそれを見ようとしてTVをつけているわけではなく、ただ前の番組が終わってしまったというだけ)

○私は、ただ、自分の居場所を見つけたいだけ。それだけなのにここまで打ちひしがれているのだから笑ってしまう。

06Sep98(Sun)

○本当は昨日日本におけるファンというものについて、スポーツをサンプルにあげてとうとうと書き連ねていたのだが、保存前にPageMillが落ちて全部消滅。流石にもう打つ気にもならない。

○「好き嫌い」は個人個人の問題で、他者が口を出すべき問題ではない。だが、いくら嫌いだからと言って、あるものが好きな人の前で堂々とそれをけなす人は私は大嫌いだ。逆も然り。

○大抵、嫌いな理由を聞けば幾分自分を納得させることは出来るが、唯一納得する事が出来ないのは「生理的に嫌い」。こればかりは対処の仕様も無いのでどうしようもない。

○最近、「ゲームを作る仕事がしたい」と今まで以上に強く思うようになってきた。一応、親には了承(?)は取ってあるので、あとは自分次第なのかもしれないが。

04Sep98(Fri)

○「White Album」の音楽はあいかわらず、いい。などと、「Sound of Destiny」を聴きながら思う。これはLeaf作品すべて(と言っても私はLVNS+「White Album」しかやっていないのだが)に言えると思う。でも、この「Sound of Destiny」や「White Album」、「Powder Snow」などを仮に何も知らない状態で普通のポップスとしてぽんと与えられたらどうだろうか?今みたいに聞くことが出来るだろうか?やっぱり、ゲーム「White Album」あってこそ聞き入る事が出来る曲達なのかも、知れない。「Brand New Heart」も恐らく。ゲームをやっていなければ、「夜の風」を聞いて泣きそうになる、なんてことは無いのだろう。逆に言えば、ゲームミュージックとしてはそれだけ良いということ。最近のミュージックシーンは、詩よりもメロディラインが重視されてるわけだから、静かな曲はそれだけで損をしてると思う。尤も、メジャーよりもマイナーなのが好きな私にとってはちょっと違うかもしれないけれど。

それはともかく、「森川由綺」や「緒方理奈」みたいな「アイドル」がいたのはもう何年前になるだろうか?(現在、女性アイドルは日本では絶滅した、と私は思っているし、もう出てこないと思う。安室はちょっとそれらとはちがうと思うので)

○「White Album」も、たぶんコンシューマに移植されるんだろうな、と思った。あるいはそれを念頭に置いての製作だったのだろうか?

○よほどフラストレーションが鬱積していたのだろう、と、「Words」よりもかなり早いペースで文字が埋まっていく「u-side」を見返して、そう思った。

○何か変わって欲しい、と思いながらも、何も変えようとしていないのだから、変えようと行動していないのだから笑ってしまう。笑ってしまいそうだけど、泣きたくもなる。時々、そこに存在するのがとてもつらくなる。

○元々が理系人間の私に、文章力を求めないで欲しい。

○私は実際、絵しか描けない人間(?)だけれど、絵の技術ははっきり言ってかなり弱い。CGの描き方なんて実のところ殆ど知らない(ただ紙に色を塗っていた時のように塗っているだけ。CGだから、といった特別な「何か」なんて、殆ど知らない)。よく「上手」と言って頂けるけれども、それからお世辞を除いた一握りの「上手」と言って下さる方(居れば、であるが)は、多分「絵柄」をそう取ってくれているのだろう。「絵の上手さ」と「絵柄」はまったく別物。前者は技術であり、後者は個性。つまりは、私は「個性」のみでその存在を辛うじて肯定できている非常にゆらいだ存在でしかない。これをある程度固定化させるにはやはり技術しかないのだけれど。土台のしっかりしていないものは、いつか必ず崩れ去る。

○夢。私の手が無くなってしまったら、その時点で「九石はくね」は消滅してしまう。脆い物だ、と思った。

03Sep98(Thu)

○「Words」にもある通り、「White Album」をやった。Leafの作品は好き。でも、やった後殆どの場合憂鬱になるのはなぜだろう?それが感動して泣いた後であったとしても。

○憂鬱といえば、以前出した「Medicine Compilation」という本(Works参照)の入稿が終わった後、改めて「ToHeart」をやった時、自分の力量にひどく失望した。これだけのモノに対し、自分はその程度のチープなものしか反映できないのか。と。あるいは「Medicine〜」がシリアス路線であったとしたら、私は失望では済まなかったかもしれない。勿論、向こうはプロ。比較する方が筋違いであることは分っている。でも、相対的・絶対的両方の見方を抜きにしても、ただ、情けなかった。「私は本当に、好き、なんだろうか?」

たぶん、Leaf系の同人誌は、ギャグオンリーでない限り、もう出さない。

○そういえば、これも先日「Words」に書いた事だが、悠久2の本をそのシナリオライターの方が買ってくださった。もし、この次また来て下さったら、私は彼の顔をまともに見る事が出来るだろうか?

…たぶん、出来るんだろう。私は馬鹿だから。でも、少なくとも成人向けのものを作っている以上、スターライトマリーの人には嫌われていると考えてやっているのは事実。

悠久2の本はまた出すかもしれない。テキストのパーセンテージの多いLeafのものよりもシナリオの束縛がやや緩いからかも。

○私は、あらかじめ用意された「キャラクター」を壊せない種類の人間(ギャグはともかく)。だから、成人向けでなんの前置きもなく女性キャラをいわゆる「ふたなり」にしてしまう人など、ある意味「凄い」と思う。私には多分、絶対出来ない事だから。それが自分の「限界」なのかもしれない。

○「White Album」をやってふと思った事。仮にこれが現実に最近人気のある芸能人を配役したゴールデンタイムのドラマだったとする。受け手は、ゲームの方は一般論的にに「オタク」と呼ばれるであろう人、かたや仮定のドラマは、アニメやゲームなんかと縁の無い、流行を追いかける若い人やその他。脚本が同じでも、メディアが違うだけで受け手はぜんぜん違う。仮定のドラマがいい視聴率取ったとして、その「若い人」と「オタク」が同類とされるだろうか?多分されない。芸能人って、私にとってはCGやアニメと同じく「2次元に住まう者」だけど、他の人には違うのだろう。(確かに、人間として同じ次元に存在する以上、それが「自分のものになる」可能性は僅かながらあるわけだが、その僅かは本当にごく僅かだから。ワイドショーなんかでそれらの人の事を事細かに報道されていたとしても、それはそれでブラウン管の表面の2次元世界にしか存在し得ない物としか私には受け取れない。さすがにライヴなどは除くとしても)一般に「オタク」と呼ばれる人々は世間からあまり良い目で見られていない、むしろ蔑まれている存在であると思う(無論、私もそれに含まれているのだと思うのだけれど)が、絵空事に思いを馳せているのは結局同類って事ではないのだろうか?…そう言う事言うから「理屈っぽい」と言われるの?

○私は言葉の本来的な意味を知ってしまうと、中々現在使われているようにその言葉を使う事が出来ない。例えば、「H」。「Hなこと〜」とかいった感じに使われるけれど、元々は「変態(Hentai)」の頭文字が語源。これが出来た頃はキスも変態行為だった時代だから、なのかも知れないけれど、これを知ってからしばらくは「Hな〜」といった使い方が全く出来なかった。(使ってもそれが「変態的な〜」といった風に略する前の形に頭の中で変換されてしまい、どうしようもなく不自然な文章に思えてしまった為)

「オタク」という言葉もそうかもしれない。元々は「ある特定の物事に対して膨大な知識をもつ人」みたいな感じだと思うのだけれど、今はゲームとかアニメとか好きな人、なんか暗い人、アヤシイ人をを指す、侮蔑を含む言葉になっていると思う。だから、「オタク」と呼ばれるのは大嫌い。それに、私アニメとかゲームとかに特に詳しいわけじゃないし。だから。

今の語意を作ってしまったのは、宅八郎だと思う。