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本当は萌えるグリム童話/本田透
電車男」を皮切りに、今迄ヲタクカルチュアと一線を画し乖離していた(気がする)新書関係にもヲタクカルチュアの混濁が目立つようになりました。本作は童話の王道「グリム童話」をヲタクカルチュアの(図らずも)代名詞となり、市民権を得てしまった「萌え」のベクトルで再構築した作品集。「本当は恐ろしいグリム童話」などで童話は子供の情操教育という枠を超え、一介の文学作品として市民権を得ているが、萌えリコンストラクションをなされ、「ツンデレ」「ドジっ娘」「妹」などというテイストで味付けされた本書収蔵作品を読むにつれ、所謂「萌え」というのは人間が成長する上でねじくれて発生する歪んだ感情ではなく、一種の「インプリンティング(刷り込み現象)」なのではとすら思えてしまう。即ち、幼少の女児が所謂「お姫様」に憧れる、あるいは男児がヒーローに憧れるように、アイデンティティの形成されるような人間としての初期段階に於いて「嗜好」の形成の根源を成しているのがかような「童話」の名を借りた屈折したファンタジーなのでは、と。極論すれば、ディズニーランド(=エンタテインメントとして完成された童話世界)を愉しむ人間とアニメやエロゲなど(=童話的味付けをなされた世代逆行的物語)に興じる人間は表裏一体なのではと思える。まぁ御託はいいとして。本作は前述した通り、ヲタクカルチュアテイストな童話、というよりも童話を原作としたライトノヴェルであると言っていい。世間一般で通じている咀嚼され尽くした所謂「絵本的童話」ではなく、原典などを下敷きとしている為にやや展開が予想外なケースはあるものの、「萌え」を強調されたヒロイン形成の為に軽く読める作品となっている。惜しむらくはやや痛い展開が少なからずある点(まぁそれは著者の想定範囲内である可能性もあるが)。「新世紀エヴァンゲリオン」からの直球のパロディなどもあり、ヲタクカルチュア外の人間には「?」という点があるかも知れないが、果たしてそんな「外」の人がこれを手に取るかどうか、というのは心配しすぎであろうか。簡単に締め括れば、本作は「大人になってしまった大きなお友達が、懐かしみつつも童心に返ることも無く大人のまま楽しめる物語」。